Monday, September 28, 2009

忘れられない先生

私は中学の美術の指導先生が忘れられないです。五歳から絵画を学びまして、特待生としてその中学校に入学した。普通な学生と違いまして、特待生の私たちは学校のために、いろいろな絵画コンテストに参加しなければならなかった。絵画が私の時間をたくさんにかかた。授業以外の時間だけじゃなかった、時々授業中ても美術の指導先生に呼び出して、絵をかかさせられました。コンテストの締切が近付くこき、毎日放課後学校のアトリエで絵をかいて、夜までようやく家に帰ることができました。あの時の私は、「こんな生活が嫌いだ」と思いました。そして指導先生に「私はやめようと思っています」と言ました。もちろん先生におこられた。でもあの時、私は先生の話を聞かず、独断に自分の意志を通したかった。時々指定の絵画時間にわざと行かないし、早めに家を帰ることをしました。「いい加減にしろ」と先生にしかられましても「我が道を行く」態度だ。多分あのときは私の青春期だろう。いつも反抗的な態度を持って、先生に盾突いた。それでも毎回絵画の技法や美術史を教えた時、先生はとてもまじめに、少しもいい加減でありませんでした。今までも覚えているのは、モンドリアンや北斎などの名画家の絵を臨模した、学んだこと;いろんな材料を使って絵を作ること;また、放課後の学校のなかで、アトリエの明かりだ。今の私にとってはすごく楽しく、懐かしい追憶です。

中学校卒業した後で、絵画をやめました。大学入学試験のために、普通な高校生として毎日試験科目を勉強していた。このとき、私はやっと美術が私に対してどんなに重要なことを感じた。人生の一部分だから、「やめよう」とか本当は無理なことだ。やめましたけど、この一部分は消えらなかった。いつも思い出して、やめたことに悔しい気持ちを持っていた。先生を懐かしんで、昔の自分の行為に後悔していた。このように思っていて、或る日、不意に町中に先生がみえました。先生は向かい側のまちで絵をみていました。適切に言うと、あれは絵じゃなくて、ただ画工たちが新しく開く店の外で、壁の上につくっていた装飾だ。それでも先生はとても集中して見ていました。先生の様子をみて、いつのまにか私の涙が出てきました。このとき、私は理解ができた。なぜ先生がこんなに集中して見ていたのか。この理由は私が泣いた理由と同じだろう。それは美術への愛です。先生が美術を愛しているから、画工たちの姿を集中して見ていました;私が美術を愛しているから、先生を理解ができて、とても感動いた。

2 comments:

  1. シェンさんは素晴しい話をしましたね。 「普通」のスポーツや音楽に集中する高校学生と違って、ちょっと例外的な才能ですね。 高校生記事を読んでから、二つの質問が私の頭に残ります...絵画を描くことに集中した時は、いつかプロの画家になりたいと言う気持ちを持ったことがありましたか。 そして、中学の美術を指導した先生に連絡したかったことがありますか。 

    ReplyDelete
  2. >ユリディケーさんヘ
    褒めてくれたありがとうございます。中学にいたとき、確かに画家になりたいんでした。実は今までこの夢はまた諦めないんです。大学卒業した後で、親に「私はヨーロッパに行って絵を学びます」と言う話もありました。でも美術と比較して私は文学のほうがもっと好きですから、私にとって、画家の夢と比較して小説家の夢はもっと大事な夢だから、結局行かなかった。幸いに、画家の夢は、ゴーギャンみたいに、40歳から始めるのが遅くないのものです。諦めないんなら、何時叶うことができるだろう。私はそう思っている。

    中学の美術先生に連絡することがありませんでした。私はもう絵画をやめましたから、先生はきっと失望すると思って、一度も連絡しませんでした。

    ReplyDelete