Saturday, December 19, 2009

インタビューについての感想

私のインタビューのテーマは日本の教育です。インタビュー相手は六年生から高校卒業まで日本のインターナショナルスクールで勉強しておりましたから、インタビューの内容大体はインターナショナルスクールに授業の内容や普通の学校と違うところなどです。

日本のインターナショナルスクールと普通の日本の学校の一番違うところは授業の全ては英語で行われていることです。他の日本人のかたと話した時、「日本ではみんなは中学校から英語を学ぶ」と言うことを知りました。英語教育について、日本のインターナショナルスクールは比べようもないほどに普通の学校より優れてと思います。その上、インターナショナルスクールで日本語を第二ヶ国語としてとると、日本の高校の国語の教科書を使って日本語を学びます。だから、今度のインタビューの相手は英語も日本語もネイティブのほどにペラペラ話せます。そう言った面では、日本のインターナショナルスクールは日英バイリンガルと言う人材を良く育てられます。

それ以外、日本のインターナショナルスクールでは課外活動の種類がとても豊富なので、アメリカの大学みたいな「オールラウンダー」と言う生徒を育成できます。実際の授業の内容は日本の政府が決めったものではなくて、特色のある教育を提供することもできます。つまり、日本のインターナショナルスクールは学生の個性を育成することを普通の学校よりもっと重視すると思います。

勉強量と授業の難しさについて、高校まで、日本の学校がアメリカの方より勉強量が多いし、数学とかの授業は難しいと言うことを聞きました。そう言った面では、中国の学校をアメリカの学校と比べて、日本と同じような状況だと思います。

Tuesday, December 8, 2009

自由

今度のテーマはまた「自由」だ。
前回私は暗い話を書いた。「絶対的な自由何か実はこの現実の世界中で存在しないものかもしれません」と言った。でも今の私、その時と違い考えがある。
絶対的な自由は存在しないかもしれないけど、自由と言うのは存在するべきものだ。なぜならば、人によって、自由の定義は違うからだと思う。この世界中で色々な自由が存在していると思う。つまり、自由は人の心の中で存在しているものだ。だらか、自分が「私は自由だ」と思っていれば、この人は既に自由に生きている。
例えば、ある人は仕事が忙しいし、ずっとプライベートも無く頑張って走り続けている。でもその人の仕事のおかげで、たくさんの人が助かる。その人の生活は一般的な自由という言葉で形容できないのに、私はその人は自由という言葉を完璧に解釈していると思う。本当の自由は自分だけのための自由じゃなく、誰かのため自由自在の生活を失っても文句がなくて頑張っていることだと思う。それは今の私の考えである。

Monday, November 30, 2009

月夜の思い

今晩の月は美しい。まんまるいし、輝かしい、夢みたいにきれいな月は、まるでかぐや姫がまだすんでいるところみたいな不思議な存在だ。

「今はとて 天の羽衣着るをりぞ 君をあはれと思ひいでける」

二か月まえ、そんな綺麗な月を見て、古い伝説や詩句以外何も思わなかった。毎日夜拾一時、ケントの図書館が閉館する時、私がケントを出て、ケントの階段の前に立った時は私一日中一番大好きな時。左にいるバトラーが見える。そのビルは温かくて、黄色い光を出す。その上、お月さまがぽっかり夜空に浮かんでいる。毎回その景色を見れば、どんな疲れや不愉快があっても、癒された。その美しい景色を見る時は私にとって掛け替えのない時刻だ。

でも今の私、同じような景色、同じような月を見る時、いつの間にか、伝説や詩句以外のものを思っている。こらえ切れず彼のことを思っている。心が乱れる。二か月前の落ち着いている心がなくなってしまった。静かな気持ちがなくなってしまった。彼に出会ったことは嵐のように、私の心を乱して、私の生活をかき回す。心も生活もめちゃくちゃになってしまいそうだと感じているけど、なんかどうしても放せない。今晩のまんまるい月を見る時、感情を抑えきれなく、彼を思い出した。

「限りなき 思ひに焼けぬ皮衣 袂かはきて けふこそは着め」

今晩の月を見る時、彼の傍にいて、ケントで勉強していたことを思い出した。私にとってちょっと近すぎる距離だから、大変ドキドキして、全然勉強できなかった。脳裏でただ「この人がとても好きだ」とのひと事が残った。理性的な思考の能力を喪失してしまったようだ。夢遊するように時間が過ぎ去ってしまったけど、とても幸せだと感じた。ただ彼の傍にいたことだけで、私はとても満足した。胸がドキドキしながら、顔を見て、声を聞いて、その人の存在を感じたことだけで、私はとても楽しかった。言葉にできない平静を感じた。その瞬間、永遠に続きってほしいと思っていた。

二か月前に学校の空手部で彼と出会った。最初は彼の親切と優しさを感じたから、段々好きになってしまったかもしれない。または彼が空手をやった時のかっこよさに引き込まれたかもしれない。「質問、何でも受けるよ」と言われたから、私はずっと彼に迷惑をかけていた。彼は私にとって、春みたいな暖かい存在だ。その人と一緒にいる時、気持ちがとてもよいと感じる。そして、彼に関することは全て私をどきどきされている。空手部の部活動の時、彼の姿をこっそりと見て、いつもどきどきしていた。電話する時、彼の声を聞いて、とてもどきどきした。毎日の午後、彼のメッセージをどきどきしながら待っていった。そしてついに携帯が振動する時、胸はすごくどきどきした。街で偶然に会った時、心臓の鼓動が更に速くて、大変緊張だった。かえって、彼が見えない時、彼に会えない時、私が何かを失うように、いらいらと落ち着かない。最初の時、彼の瞳を見ってだけ、なんか緊張してしまった。電話番号を聞くつもりだったけど結局一言も口に出せなかったこともあった。帰った後で、その気持ちと自分の携帯番号を電子メールに書いて、彼に送信した。一日中ずっと携帯を見つめていた。でも今彼の瞳を見るなら、ドキドキしても話すことができだ。空手部の部活動の時、ドキドキしても、目を直視して彼と組み手をやることもできた。何時も会いたくになったけど、最近対面の機会が更に少なくなったと気付いた。私のますますつのる恋心と逆に、彼は微妙な態度を示しているらしい…今晩の月を見る時、竹取物語の中の詩句を思い出した。

「逢ふこともなみだに浮かぶわが身には 死なぬ药も何にかはせむ」

私は何時も彼に「文語が難しすぎる」と言っていたから、一緒にいる時に日本人の彼に教科書を読ませたことはありありと目の前にあるようだ。彼と一緒に文語の教科書を読んだこと、今思い出しても私をどきどきされている。彼に漢字の書き方を聞いたことも、週二回メールで私の日本語を練習することを手伝ってくれたことも、今毎回日本語を使う時彼を思い出させている。彼が空手をやっていた姿がずっと私の脳裏に浮かんでいる。街頭で彼とちょっと似ていた知らない人にぶつかった時、なんと突然に心臓の鼓動が速くなった。彼と会えなかったこの数日間、まるで百年みたいだった。もう落ちたかもしれないね、私。

昨日、やっと彼を見た。その瞬間、いらいらとしていた心が突然落ち着いた。今日も会えないかなと思っていたのに、彼の姿が見えた。
彼が階段の上から歩いて降りる姿を見ていて、胸がドキドキしてしまった。空手着を着て、道場で正座をしていた彼を見た、抑えきれなくて心を引かれていた。心臓がドキドキした。この瞬間、道場でいる私にとって、世界は後ろへ退って、背景になっていた。他の何もかも重要ではなかった。私の世界中ただ彼の事だけ残っていた。ただ私がこの人がどんなに好きかと言う一つの事だけ残っていた。

月は美しいけど、月光は冷たいそうだ。冷たくても、その光を引き込まれっている人が千百年の間に絶えない。恋も同じようなものだろう。たとえ好きな人が月の上のお姫様だとしても、本当に好きなら、その気持ちが変わらない。どんな遥かでも、どんな辛くても、あの人のためには、何でもするつもりだ。たとえあの人は月に帰るとしても。たとえあの人は人間を愛さないとしても。お月さまは天上に輝き続く、われら人間は地上で恋をし続ける。代々に、限りなくて、愛することと愛されることを伝えゆく。

Sunday, November 22, 2009

今住んでいるところ

私は今コロンビア大学の寮に住んでいる。学校からとても近いし、家賃もすごく安い。寮から学校まで徒歩五分ぐらいから、通学はとても便利だ。だから深夜に図書館から帰る時、一人で歩くのは怖くないと思っている。寮の周りに銀行、スーパ、郵便局、本屋、そしてレストラン等全てそろっている。本当に便利だと思う。何時も付近のスーパで食材を買って料理を作る。また付近のレストランで食べる。でもこの辺り、美味しい中華料理の店は殆どないね。それは唯一の不満だかもしれない。

寮の中ではキッチンとトイレは共用の部分である。共用部分だから、ちょっと汚いし、時々不便がある。例えば料理を作る時、このキッチンは狭いから、最多で二人が同時にいる。そして、みんな同じ冷蔵庫を使っているから、この冷蔵庫は何時も詰め込まれている。そのスイートに住んでいる人は私と私のルームメート以外全て男の子である。夏の時それはちょっと不便だ。私はルームメートが有るけど、彼女は何時もここに住んでいない。家はニューヨークにあるから、大体家に住んでいるらしい。偶に顔を出して、ものを持った後で家に帰る。全体的に見て、私は今住んでいる寮に満足する。

Wednesday, November 11, 2009

今学期の目標をふりかえる

九月の時、私が書いた今学期の目標は「日本語を使って人と話せる、日本語の小説が理解できる、そして日本語で簡単な文章を書けることを目指す」ということだ。その目標を振り返ると、今までは大体出来たと思っています。間違いところがたくさんあるけど、簡単の会話とエッセイが出来ます。日本語の小説について、今は伊坂幸太郎の「終末のフール」と言う本を読んでいます。そして、日本語一年生の友達は三島由紀夫の「金閣寺」がとても好きだから、時々その小説を彼に詳しく説明する。一年生は文法があまり知らないし、時間は大変かかります。この二カ月の間に、日本語の実際的な応用の能力が上達していたのが感じました。良かったね。

今は新しい目標がある。まずは日本語で友達と語り合う時、もっとペラペラになりたい。その上、日本の文化や日本人の考え方がもっと深く知りたい。何時も丁寧で礼儀が正しいけど、距離感が時々感じます。親切にされた時、それは礼儀かどうかちょっと分からない時も少なくない。日本人と中国人の友達付合いの方法には大きな違いがあるかもしれないと思いますね。         

Saturday, October 24, 2009

どきどきした話

私は最近どきどきしたことはたくさんありますね。好きな人に関することは全て私をどきどきされています。空手部活の時、彼の姿をこっそりと見て、いつもどきどきしていました。電話する時、彼の声を聞いて、とてもどきどきしました。毎日の午後、彼のメセージをどきどきしながら待っています。そしてついに携帯が振動する時、胸はすごくどきどきします。街で偶然に会った時、心臓の鼓動が更に速くて、大変緊張になりました。この中で一番どきどきしたのはやっぱり彼の傍にいて、ケントで勉強していた時。私にとってちょっと近すぎる距離だから、超どきどきして、全然勉強できなかったです!本当に無理でしたよ…脳裏でただ「この人がとても好きだ」とのひと事が残りました。理性的な思考の能力を喪失してしまったようです。夢遊するように時間が過ぎたけど、とても幸せと感じました。

今までで一番どきどきしたことは何でしょうか…これはちょっと難しいですね。ヤマピーを見たことかもしれません。二千七年二月、横浜アリナでNEWSの復活コンサートを見ました。あの日、午前十時から午後六時まで何も食べなくて、水も飲まなくて、横アリの前で行列しました(最初はグッズを買うために、後は入場のために行列しました)。一日間わくわくして待ったから、コンサートの直前に胸がすごくどきどきしました。みんなの「キャアー」のなかで、ようやくコンサートが始まりました。山ピーの姿を見せた時、私はもちろん大興奮しました。そして彼が「ゴメンネ ジュリエット」と言うソロ曲が歌っていたとき、私は突然にとても感動しました。彼のセクシーな舞う姿が私をどきどきされていたけど、なんかその時他のことが感じって、不意にどきどきしながら悲しいとなりました。その感情を抑えきれなくて、涙が出てきました。あの人がそんなに輝かしいのに、私にとってはやはり関係がない人でした。それはとても複雑の感じでした。その時、私と山下君の距離は拾メートル以内でしたが、天の川見たいな遠い距離を感じました。

Tuesday, October 20, 2009

同情するなら酒をくれ

今度のテーマは「自由」ですね。
自由というものは何でしょうか。しょうじきに言えば、今の私はちょっと分かりません。
小さい時、私は自由を信じていた。自分の心に従いで、やりたいことを自由にやってはいいと思っていた。世界が広いから、私も若いし、可能性がたくさんありました。「どんな夢もあれば、精一杯頑張るならきっと叶えるかな」と思っていた。

でも今私は段々そう思ってないです。
絶対的な自由何か実はこの現実の世界中で存在しないものかもしれません。
私は家康公の一言がとても好きです。
「人の一生は、重荷を負いて、遠き道を行くがごとし」。
その通りだ。
重荷の一部分だけは自分の選択です。残りのものは全て自分の選択じゃないです。その人生の道も、時々自分が選択できないのと思います。
時の流れに従って、どうしようもない時と無力な状況がますます増さって、日ごとに多くなります。
悲しいかもしれない。

昨日の夜半、ケントの前で友達と坐って、お酒を飲んで、つらいことを喋った。ニューヨークの拾月の夜は大変寒いですね。
冷たいのは風だけじゃないかも。

どうしてそんなに不自由かな。
人生はいろいろな束縛があるからかもしれない。
まさに自分を束縛しているのは自分の心だ。

暗い話を書いたのはすみませんね。